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不景気経済真っ只中の、2002年日本。
今、日本はどこへ舵を取れば良いか解らないでいる。

行くべき方向があったとして…
誰がその方向を見つけてくれる?

オカルトブーム全盛期に流行した、呪い(まじない)まがいの占い。
「コックリさん」

そうだ、今一度コックリさんに占ってもらおう。
日本の行く末を。

捻挫スタッフが各地を飛ぶ。(嘘です)

企画 WEBマガジン捻挫
テキスト&フォト MOU君

コックリさん とは?

まず簡単にコックリさんについて説明しよう。 

おそらく「コックリさんは何?」と聞かれて、ほとんどの人が答えるのが「浮遊霊などの成仏できないでいる人たちの霊。」という答えだろう。

もともとコックリさんは、19世紀に西洋(フランスと言われている)で流行したテーブルターニング・ウィジャ盤などの占いに端を発する。そしてそれが明治時代に日本に伝わり、独自の形を形成したものであると言われている。

明治18年から20年の間に爆発的に流行し、コックリさんはその名を広く人々に知られることになる。後にこれが「コックリさん第一次ブーム」と言われているものだ。
その後、戦時中に戦争に行った兵隊が帰ってくるかどうかといったことを占うために流行するなど、幾度かの流行を経験し、コックリさんはその存在を確かなものにしていった。

そして我々からは一番身近な時代であろう、1970年代〜80年代前半のオカルトブームには子供達、特に占い好きの女子の間で爆発的に流行した。

この頃のコックリさんは、「キューピットさん」「守護霊様」「エンジェル様」などと様々な名で呼ばれ、その独特のおどろおどろした雰囲気をなくし、逆に占い的な要素を強くした。それにより女子達はこの呪い(まじない)めいた占いを、抵抗無く受け入れることが出来たのではないかと考える。

我々捻挫スタッフもそのブームの洗礼を受けた者達だ。

昔の記憶だが、オカルト仲間の中では、「キューピットさん」は平和的で「コックリさん」は怖い、というような区別がなされていた気がする。
おそらくコックリさんには「憑く」という言葉がすんなり入るが、キューピット様やエンジェル様では「憑く」という言葉が適さないところなども関係しているだろう。コックリさん関連の怖い話というと、「憑かれて気が狂った」というような話ばかりであることを考えると、やはり「憑く」という言葉が合うかどうか、というのは重要な要素なのだ。

コックリさんには歴史があることから、それにまつわる話なども伝わって来たが、歴史の浅い「キューピットさん」などはそういった話(歴史)自体がないため、自分の好き勝手に解釈できた。本家のコックリさんが持つ怖いイメージをなくし、あの時代特有のカワユイものへと変質させられたのが「キューピットさん」や「エンジェル様」なのだろう。
それゆえ名前からも怖い印象は伝わってこない。むしろ「いたずら好き」という程度だろうか?

そして 今

オカルトブームは去った。あの頃は本屋に行くと心霊写真の本やオカルト関係の本が置いてあったが、今では専門店でもない限りはオカルト本などほとんど置いていないのが現状である。

今だからこそ占う必要があるのではないか?誰もが迷っているこの時代だからこそ。
溺れる者達にとっての藁であるかもしれない。
しかし、溺れる者はそれが藁であったとしても、掴まずにはいられなかったはずだ。

我々も同じである。
藁かどうかは掴んでみてから確認すればいいではないか。

もう一度、コックリさんを呼んでみよう。
そして占ってもらうのだ。日本の方向(ベクトル)を。

コックリさんのやり方

実は色々なやり方がある。地域によっても違うし、流行した時代によっても違う。
コックリさんは実に利用者に開かれた、いわばオープンソースな占いなのである。

一般的なやり方
  1. 「はい」を右、「いいえ」を左に、その中央に鳥居。下に五十音が右から書かれている紙を用意。
  2. コックリさんが入ってくるための窓を開ける。(窓の方角はどこでも良いという話が多いが、「北」と限定しているものもある。他にも開けた窓の方角と逆の方角にある窓を開けないと帰ってくれない、という話もある。 )
  3. 十円玉を鳥居の上に置き、その上に人差し指を置く。(二人以上)
  4. 詠唱。「コックリさん、コックリさん。おいでになりましたら「 」(開けた窓の方角)の窓からお入りください。」
  5. 少しして、もう一度詠唱。「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら「はい」へ進んでください。」(4を飛ばして、いきなり5に行く説もあり)
  6. コックリさんが来たら、質問攻めに。
  7. 帰ってもらうには「コックリさん、コックリさん。ありがとうございました。「 」(開けた窓の方角)の窓からお帰りください。(帰らないようだったら、しつこく言って帰ってもらいましょう。)
  8. 10円玉が「はい」に行き、その後鳥居に戻ったらコックリさんは帰ったということ。
  9. 帰った後は、コックリさんで使用した紙を燃やし、10円玉はその日のうちに使う。

用意(準備)

  1. 十円玉
紙に書く文字は諸説あるようだが、今回は…
  • 右に「はい」、左に「いいえ」 その中央に鳥居
  • その下に右から五十音を書いていく
  • 数字は書かないという説も。だが、便利だと思ったので今回は書いた
このような設定で行った。調べれば調べるほどバリエーションがあるので、ある程度こちらがやりやすいような形でやらせていただいた。

捻挫スタッフ自宅でコックリさん

早速、コックリさんを呼んでみる。時刻は午後5時ちょっと前。曇っているため部屋の中は少し暗い程度だ。

部屋の設定は…
  • 部屋は気分を出すため暗くしてある
  • コックリさんが入ってくるための窓は北側を開けた
  • まずは「編集長あゆみん」と「たかBON」の二人で行う。反応がない場合は「MOU君」が加わる
こんな感じである。

部屋を暗くしたことで、いやがおうにも緊張は高まる。

編集長の顔が恐怖にゆがむ。
たかBONが薄ら笑いを浮かべる。
MOU君がデジカメを構える。

いよいよ、始まる…。

編集長あゆみん&たかBON
「コックリさん、コックリさん。おいでになりましたら、北の窓からおいでください。」
来るか…?

編集長あゆみん&たかBON
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら「はい」へ進んでください。」
…反応は…ない。

デジカメで写真を撮っていた私、MOU君も加勢する。

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。おいでになりましたら、北の窓からおいでください。」
…今度こそどうだ…?

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら、「はい」へ進んでください。」
…ん?動いた?…いや、腕が疲れてふらついただけだ。

結局、ここでは10円玉が「はい」へ進むことはなかった。

だが、一つ面白いことが分かった。それは、「ずっと、同じ姿勢で10円玉に指を置いているのは疲れる」ということだ。
これは笑い話ではない。
フラクチュエーション、つまり揺らぐ力。
人間はじっとして指を動かさないようにしても、揺らがずにはいられないのだ。
もしや複数の人間のゆれの波長が重なったときに、10円玉は動いてしまうのではないか?

となると、コックリさんは人の揺らぐ力が作り出したもの…?
いや、しかし、そうだとしても、それだけでは「はい」や「いいえ」と答える力や、文章までをも表してしまうコックリさんは到底表現することが出来ない。

コックリさんの正体は一体…?
いや、あえてここではそれは問うまい。
今は、ただ呼び、そして占ってもらうだけだ。

八幡神社でコックリさん

捻挫スタッフはコックリさんに適していると思われる神社へ向かった。
なぜ神社か?というと、よくコックリさんに憑かれた人は「狐憑き」のようになるという話があった気がしたからだ。
神社と「コックリさん」は関係があるのだろうか?

八幡神社に着く頃には時刻は既に午後5時を回り、あたりは少しずつ夜の暗さに包まれてきた。
ひとけのない暗い神社内で「コックリさん」の準備をする。
あたりは住宅街で、犬の散歩をしている人以外はほとんど誰もいなく、静かだ。
急に自分達が罰当たりなことをしている気がしてくる。
人に見つからないようにコソコソと始めた。

今回は外でやるため「窓」がない。だから「コックリさん、コックリさん。おいでなさいましたら「はい」へ進んでください」と、お呪いを簡略化させてやってみる。
こうして考えてみるとやはり「コックリさん」は室内でやることを想定している。
なぜだろう?
コックリさんが浮遊霊だとすると、いちいち窓を通って入らなければならない室内よりは、屋外の方がよっぽど簡単に霊が集まってくる気がするのだが…。


まずは先ほどと同じように、最初に「編集長あゆみん」と「たかBON」が行う。反応がない場合はMOU君が加わる。

編集長あゆみん&たかBON
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら「はい」へ進んでください。」

…反応は…やはりない。

デジカメで写真を撮っていた私、MOU君も加勢する。

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら、「はい」へ進んでください。」
…やはり、腕がふら付いて10円玉がかすかに上に動いただけで、「はい」へと進むことはなかった。

ここでも駄目だった。次に行くところはもう目星がついているのだが…。

…ここでふと考える。
お呪いを簡略化させたことは、なにか影響があるだろうか?
実はこれから行くところは全部屋外であり、「窓」がない。
もし、「窓」が「コックリさん」を呼ぶために必要不可欠ならば、これからやろうとすることは全て徒労に終わる。

だが、ここで考えたところで話は進まない。
それに、コックリさんの呼び方はかなりの数が存在し、流行った年代・地域・グループなどによってもかなり違う。
もともと口コミベースで広がっていった文化だけに、本当のやり方ががどれなのか特定できないのだ。

だからこの後もこの簡略化されたお呪いで行っていく。
それしか選択肢がないのだ。

墓場前でコックリさん

徳富蘆花の墓と芦花公園の間に墓場がある。人の背より少し高いくらいのブロック塀に囲われた小さな小さな墓場だ。
コックリさんが浮遊霊だとしたら、こういった場所ではどうか…?と考えていたのだが…。
この論理に矛盾も感じる。
墓場に入っている人は形上ちゃんと供養されている人たちだ。現世に思い入れがあるため成仏できない浮遊霊と直接的な関係はないかもしれない。
…。とにかく、来た以上はやっていく。

午後6時を回った。
このあたりは木々に囲まれて昼でも暗い。この時間になると、もう夜中のようだ。
当然ながら人はいない。

写真左は「編集長あゆみん」と「たかBON」。(写真初公開)
肉眼ではもう少し明るく見えたのだが、デジカメで写真を撮るとすさまじく暗い写真が撮れた。
きっとフラッシュの光を暗闇が飲み込んでしまったのだ。いくらフラッシュをたいても写真は一向に明るくならない。(反射するものがないとデジカメは弱いのか?)

彼女らの正面に見えるのは「墓場」だ。
やはり写真を撮っても暗く撮れてしまう。(これでもその後にかなりの補正をかけている)

早速、始めてみる。

先ほどと同じく、「窓」がないのでお呪いは「窓なしバージョン」で行う。
先陣は「編集長あゆみん」「たかBON」の二人、無反応であったらMOU君が加わる。

編集長あゆみん&たかBON
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら「はい」へ進んでください。」

…無反応。

MOU君が加勢。

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら、「はい」へ進んでください。」
…無反応。

だが、ここで動かなくて良かった…。
ここで動いたら、夢に出るだろう。とても占いなどをやってもらう雰囲気ではない。
むしろ、「呪い」をかけようとしているようだ。

…?
ふと、「呪い」と「コックリさん」の相違点に気がつく。
「牛の刻参り」に代表される「呪い」の方法は、基本的に一人で行う。それを行うには様々な下準備が必要で、やれる時も場所も決まっている。
変わって「コックリさん」は基本的に集団で行う。場所、時を選ばない(ハズ)。

だが、類似点もある。
儀式的行為である。
コックリさんにも簡単ではあるが、準備(紙など)やお呪い、その後のケアなど、ある程度の様式がある。
コックリさんに使用した10円玉のその後の処理方法などは、間違えると「のろわれる」だの「憑かれる」だの、物騒なことがまことしやかに語られている。
「牛の刻参り」も失敗すると自分に呪いが降りかかると言われている。

この類似点と相違点は、「コックリさん」の「本質」と関係が有るだろうか?

烏山神社でコックリさん

さて、いよいよ一番人がいなくて暗いスポットの出番となった。
陽はもうかなり前に隠れてしまい、あたりは真っ暗だ。

相変わらず、神社や暗い場所と「コックリさん」が結びついていないのだが、何事も盛り上がりが大事と思い直す。
「コックリさん」をやるのに適当な場所を見つけ、早速そこで始める。

編集長あゆみん&たかBON
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら「はい」へ進んでください。」

…無反応だ。

いつもどおりMOU君が加勢。

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら、「はい」へ進んでください。」
…やはり無反応。

何度も「コックリさん」をやったことで、だんだんこのシチュエーションにも慣れてきてしまった。
あれほど怖がっていた編集長も、もう慣れたものだ。お呪いも紙を見ずに言えるようになっている。

そして捻挫スタッフの中にも心境の変化が現れてきた。

少なくとも私はお呪いを行った後の静寂の中で、10円玉が「はい」へ動くことを願い、そしてそれが「はい」へと動く映像をしきりにシミュレーションしているのだ。
そしてその後10円玉が無反応であることに落胆している私がいるのだ。
後で気づいて驚いてしまった。

この心境の変化はなんだろう?
これほどにもしつこく呼んだのだから、少しぐらい動いてくれても…という努力に対しての成果や見返りを期待しているのだろうか?

そういえば、編集長あゆみんは八幡神社で「コックリさん」をやった後こう言っていた。
編集長はこの企画にあまり乗り気でなく、やると決めた後もしきりに怖がっていた。

「動いてくれるな。って思ってたんだけど、動いてしまいそうで怖かった。なんか10円がスゥゥッと動いてしまうような恐怖を感じていた。」

10円玉が動いてしまいそうな恐怖を編集長は感じていた。
一方私は何度も「コックリさん」を呼ぶ儀式をし、その内に「動いて欲しい」と願うようになった。

フラクチュエーションにより、10円玉はかすかに動く。3人の揺れの波長が合ったときには大きく動いた。

…?
なにか「コックリさん」が見えてきた気がする。
それを確信するためには、もう一度「窓」のあるところへ戻って、やり直さねばならない。
「儀式」だ。おそらく、やはり今足りないのはそれに違いない。

捻挫スタッフ自宅でコックリさん 2回目

戻ってきた。
もはや時刻は午後8時を回り完全に夜になった。明かり消すと部屋は闇に包まれる。

もう一度室内で「コックリさん」をやるにあたって、色々と前準備を行った。
まず、
  1. 「儀式慣れ」を打破するため、その前に十物語(百物語簡易版)を行う
  2. 十物語では百物語と同じく、一つ話し終わると一つづつ蝋燭を消していく
ここでは、十物語で何が話されたかの詳細は書かないが、それが「コックリさん」を呼ぶにあたってよい効果が出たかどうかは謎である。
だが、スタッフにはまた緊張感が出てきた。

さて、いよいよ最後の挑戦だ。

北の窓を開ける。
部屋の明かりを消す。
紙の文字を見るための明かりは、先ほど十物語で使用した一番真中の蝋燭一本だ。
以外にも暗闇に目が慣れてくると、10円玉だけでなく、紙の文字もしっかりと認識することが出来た。

3人は10円玉に指を乗せる。
腕のかすかな揺れが10円玉に伝わっていて、かすかに10円玉は動いている。
開けた窓から少しばかり冷たい風が入ってくる。
お呪いの言葉を唱える。

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。おいでになりましたら、北の窓からおいでください。」
儀式的なものは全て行った。
そして我々は「それ」が「来る」ことを願っている
人の目を気にすることがないので、お呪いの言葉も今までで一番はっきりと、力強く言えた
10円玉はフラクチュエーションで安定しない
今は今までで一番よい状況のはずだ。

捻挫スタッフ
「コックリさん、コックリさん。いらっしゃいましたら、「はい」へ進んでください。」

 …
  …
   …
長い長い静寂のときが流れた。
10円玉はやはり動かなかった。

儀式を終えて

今回の実験は結果だけ見れば完全に失敗に終わった。
我々は「コックリさん」を呼ぶことは出来なかったのだ。

だが、この実験を通して「コックリさん」の「本質」を掴めた気がした。

やはり「コックリさん」は超常現象ではない。

「コックリさん」は深層心理とのコミュニケーションである。
いや、深層心理ほど深いところに有るものではないかもしれない。自覚・認識している意識、つまり表層心理内にある、いつもなら眠っている心だ。
認識しようと思えば認識できるぐらいの深さだが、普段常に意識しているわけではない、そんな意識だ。

「呪い」は、それが「ある」と思っている人たちの中では「在る」のだ、という言葉を中島らもが「ガダラの豚」で書いている。つまり、「呪われた」と思った人は、普段気にも止めない事を「呪い」のせいだと考え、次第にその思考に飲まれていく。ついにはそれが元で些細なことでも過敏に反応するようになり、一般的に言う「気が狂う」状態になって行く。
これは精紳医学用語的に言う「プラシーボ(偽薬)効果」とも通じる考えだ。

「牛の刻参り」ではそれを行う人間を追い詰めるがごとくの様々な行為をしなければならない。それを行おうと思った人間はある意味で追い詰められてその行動を起こそうと考え、そしてそれを実行に移す準備を始めることでさらに追い詰められていく。
この時、この人間を追い詰めているのは「自己の意識」だ。つまり「こんなことをしてしまった。もう戻れない」という後ろ向きな覚悟とも言える。それにより「呪おう」と思った意識が「先鋭化」し「呪わねば」へと変化する。
儀式の必要性はここにある。
つまり、そうまでしたのだから「何かが起こって当然」と考えるようになるのだ。いや、「起こって欲しい」という願いに近いかもしれない。

こうして「呪った方」と「呪われた方」の双方で、呪いは作られる。


「コックリさん」も同じようなメカニズムを持っている。

まず、集団での行為は集団心理を生む。集団心理はより強い力へと流れていく性質を強く持つ。
そして集団ではおのずと意識の共有化がごく自然的になされている。
簡単に言えば、「霊はいない」という人と、「霊はいる」という人がグループ内に混在するケースは稀である。ある目的をもった集団ならば珍しくないが、学校などで形成された集団は自ずと似たような趣味や好みなどでまとまっていくのが普通だろう。特に、女子ではその傾向が強いと考える。
こうした関係は、抑制する者がいない分集団催眠に陥りやすい。

「コックリさん」における集団意識の影響としては…
誰もが10円玉を「動け」と思う状況で、フラクチュエーションの揺らぎが発生し、それがトリガーになり、誰かが無意識に(或いは極めて無意識的に故意に)10円玉を動かし始めたら…。
次はそれがトリガーになり、他の誰かが無意識に(或いは極めて無意識的に故意に)動かし始めるかもしれない。
それは「コックリさん」が来た。ということになる。
ここで重要なのは、無意識、或いは極めて無意識に近い状態で動かしている、という事実だ。

実は「コックリさん」の危険性はここにある。

思春期の多感な時期に「コックリさん」を行い、「コックリさん」に呪われたと感じてしまった人は、さきほどの「呪い」の話と同じように些細なことに過敏に反応し、ついには「気が狂う」という状況にもなりかねないのだ。
もちろん全員が全員そうなる、というわけではないが、少なくとも「夜眠れなくなった」り「シャワーを浴びる際、目を閉じれなくなった」など些細な影響が出るなどもする。(事実、MOU君も小学校高学年の時期にキューピットさまで、えらく怖い思いをし、シャワーで目が閉じれなくなった経験がある)
これはこれで、立派に「呪われている」のだ。

今回捻挫スタッフが「コックリさん」を呼ぶことが出来なかったのは、スタッフの「コックリさん」対するイメージがバラバラだった(つまり自己暗示的と考える者と、怖いモノと考える人が混在するなどしていた)ことが原因だ。
それと、やはり自己暗示や集団催眠にかかるには、今回のアプローチは少し冷静すぎたかもしれない。客観性が常に存在していた我々は、自己暗示ですら分析の対象にしてしまった。
もっと、論理的思考を切り離さなければならなかったのかもしれない。

これが、捻挫なりの「コックリさん」の答えだ。
無意識とのコミュニケーション。

ある漫画家は夢日記を書いていた。そしてそれをネタに漫画を描いた。
そして「気が狂って」しまい、入院した。
夢もまた無意識から生まれ出たものである。
そこへ踏み込むには危険が伴うのである。

無意識とのコミュニケーション、皆さんは興味がおありかな?

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