magical mistery tour


かつて、高原の原宿として若者達を魅了した街、清里。
時代は流れ、低迷する日本経済と呼応するように、
街は静かにその役目を終えようとしていた。
写真・文  MOU君

清里の黄金時代

清里にペンションが建ち始めたのは1978年頃からである。
1980年代には清里は女達の憧れとしてその存在を確固たる物にしていた。少女達の中では清里のペンションに泊まり、テニスをやるのがなによりのステータスであったのだ。

当時、清里には竹下通りあたりを闊歩している少女達が集団で来ていたという話がある。
そしてそんな少女達の声に呼応し、清里は尚、その性格を強めていった。
いわば70年代に幼い頃を過ごし、少女雑誌「りぼん」に影響を受けたヒラヒラ少女達が、80年代の清里を生み出したといっても過言ではない。

バブル崩壊後の清里

しかし、バブルははじけ、いつまでも夢の中にいることのできなくなった少女達に見捨てられた清里から彼女らの姿は消えた。
しかし今なお清里は、まるでその少女達の帰りを待つかのように、その姿をとどめたままそこに存在していた。

おそらく、清里にとって何が変わったのかというと、少女達が作り出すにぎやかな喧騒がなくなったことに他ならない。
それが帰ってきた時、まるで何十年も動かすことのなかった機械に油をさすように、街はまた昔のように動き出すのかもしれない。

私はそんな清里の今の姿を夢中で写真に収めた。これはその記録である。


到着、そして慟哭

私は「小海線 清里駅」周辺の「ワンハッピープラザ」というショッピングゾーンを目指していた。
ここではメルヘンショップが並び、多種多様な土産モノ、ソフトクリームやクレープ、様々なジャンクフード(タコス、フライドポテト等)のお店が集中しているとパンフレットには書いてあったからだ。
ワンハッピープラザの広場
(写真は2000年8月のもの)
行ってみると事実、そのようなお店が沢山並んでいた。

だが、一つ考えているのと違うところがあった。

右の写真では、人が沢山いるのが分かると思うが、自分が行ったときは夏休み中であるというのに、広場に人は3人ほどしかいなかったのだ。

呼び込みの店員はしきりに、三角くじがケース内の下から吹き上げる空気によって宙に舞っている「宇宙くじ」なるものを宣伝している。人は誰も来ない。

土産物屋に入ってみると、そこでは懐かしい「名前の書いてあるハンカチ」や「牛柄(ホルスタイン)のカバン」「牛のぬいぐるみ」などが売っている。
その店の横では「須永博士」なる人の絵が飾られていた。

唯一儲かっているのは、アクセサリー屋のようだ。その店周辺では女子達の喧騒が聞こえてくる。私も混じって一つ数珠のような腕輪を購入した。

広場の奥には、アーチのかかった下り階段があり、下の小広場へと続いている。広場の周りにはジャンクフードを売る屋台の店が並んでいた。
が、その小広場に人は誰もいなかった。屋台の店は5つくらいあるだろうか?しかし、奥の階段で寝っころがっている店員は2人しかいなかった。

清里土産物通り

清里駅前通りには、土産物屋などが並んでいた。
梅辰の漬物屋には等身大梅辰人形が置いてある。他を圧倒する人の出入りだ。やはり人形効果だろうか。

通りを歩いていると、いやに駐車場が多いことに気づく。しかし、どれも駐車料金のプレートに後から紙で新しい料金が貼ってある。油性マジックで書かれたような字だ。もちろん、料金は以前よりも安くなっているのだろうが、沢山ある駐車場はどれも車はほとんど止まっていなかった。


哀愁の看板

駅前通りからをしばらく進んだところで、こんな看板に出会った。
おそらく、華やかかりし頃の少女達は、「清里での占い」に胸躍らせたに違いない。
どのようなことを占ったのだろうか?
友達とのことだろうか?
恋人のことだろうか?
自分の将来の姿だろうか?
…清里の将来を占うことは、この占い師に出来たのだろうか?

足取りは尚も、重くなって行く。









悪趣味な建物郡、その内部


上の看板の向かいには、なにやら悪趣味な建物郡が建っていた。
ひと気がないな、と思っていたら廃墟であった。

敷地内に入って、散策してみる。
どうやらここは、カラオケ・ゲームセンター・的当て・喫茶店・教会(!)などを同じ敷地内に入れた宿泊施設のようだ。

だが中は、荒れ放題だった。
謎の建物郡

敷地内に草は茂り、建物と建物の間には大きなクモの巣が張り巡らされている。

よそ見をしていたら、大きなクモの巣に顔を突っ込んでしまった。
謎の建物郡内部

腐敗臭がした。臭う方へ歩いてみた。
宿泊部屋の1Fは荒れ放題で、ゴミが散乱している。
建物内部(宿泊部分)・1F

建物郡の敷地内には喫茶店兼バーのようなところもあった。
入ってみると、中はやはりゴミが散乱している。
入り口付近の箱には、色々な小物と一緒に、ラベルも何も貼っていないビデオテープが2本あった。
なにが録画されているのだろう?
気になったので、持ち帰ってみる。

(ちなみに、廃墟内の物を持ち出すと、「窃盗」或いは「占有物離脱横領」の罪に問われる可能性もある。だからここでは、このビデオテープは確認の後、元の場所に返した、ということにする。)

清里シャトレー教会
清里シャトレー教会内部
敷地内になぜか存在する教会の中に足を踏み入れると、部屋にぎっしりとゴミが整理されないまま放置されていた。

以前まではこの教会で結婚式でも行われていたのだろうか?宗教的に必要とされていたとは到底思えないので、おそらくそうなのだろう。

ここで結ばれたカップルは、この状況を見たらどんな風に感じるだろうか?






朽ち果てた廃墟

廃墟の宿泊施設をしばらく、駅とは反対側に歩く。
歩けば歩くほど、廃れた施設が目に付くようになってきた。
その中でも、突如現れた宿泊施設の廃墟には目を見張るものがあった。

すでにほとんどの骨組みだけになっているが、この状態で取り壊しが中断してしまったのだろうか?
取り壊し中断後、長い時間放って置かれた、そんな感じのする3階建ての建物。
通り沿いの宿泊施設廃墟

建物の横には、捨てられたトイレのタンクがあった。その後ろから色鮮やかなヘビイチゴが顔を出す。

人間の作り出した色は時間とともに廃れていくが、自然の色はたくましくその存在を見せ付けていた。
廃トイレとヘビイチゴ


今にもそこが抜けそうなさび付いた鉄の外階段を上り、2階のホールへときた。そこには自動販売機があった。

自動販売機の口には、口の開いていない缶ジュースが一つ入っていた。手にとって見ると軽い。中の液体はすでに揮発していた。
(さびてもろくなった階段は要注意だ。頑丈そうに見えてもかなり薄っぺらになっている可能性が有る。)
2階ホール

2階ホールは見てのとおり荒れ放題だ。床には、様々なものが転がっている。
古くなった工具、ガラス、木片、油…

床は所々軋んで、心許ない。
油に足をとられて転びそうになった。
(腐るなどしてもろくなっている床には注意である。廃墟のなかを歩く際は様々なことに注意を払わなければならない。)
2階ホール

建物内部の木造の階段で3階へと上がった。3階はどうやら宿泊客の部屋のようだった。

どの部屋もすごい荒れようだ。
左の写真の部屋には腐った畳から草が生えてきている。
草の生えた畳 荒れ放題の部屋

さらに上に行くと屋上に出た。

写真ではかろうじて鉄の囲いがあるが、片方はもうすでに囲いすらない。

清里の町並みが見える。が、街にひと気はない。
屋上

屋上から戻ってくると、階段の横にもう一つ部屋があった。
あけてみようとすると内部から鍵がかかっている。

テラスから回ってみたが、この部屋だけ窓から入ることが出来なかった。他の部屋と違いテラスがなかったのだ。

閉まっているとどうしても開けてみたくなるのが人の性だが、蹴破るのも嫌なので放っておいた。
開かずの間

建物の横のスペースにはバスが止まっている。中はなにかがぎっしり詰まっているように外からは見えた。

中に入って確認してみると、そこにあるのはバス内にぎゅうぎゅうに押し込められた寝具や座布団であった。

息が詰まるようなカビ臭いにおいが内部には充満している。
バス バス内部

さらば、清里よ

私が今回紹介したのは、清里の一部である。
もちろん、清里には今でも人が大勢来ている所も有る。「清里の森」「萌木の村」などの自然を売りにしたようなところには沢山の車が止まっていた。
決して清里全体が寂れているというわけではない。

だが、それもいつかは、あの廃墟達のようになるのかもしれない。

私達は大いなる幻想の中で、そこに価値を見出したり、或いは見出さないかったりする。
そしてそれは、絶対なものではなく、つねに変化していくものなのだ。
そして華やかな場所と廃墟は常に表裏一体なのである。

それを伝えてくれた清里よ、ありがとう。

追記:喫茶店で拾ったビデオ2本には、どちらにも「NHKの番組放送後の音楽と映像が絶え間なく流れているもの」が録画されていた。おそらく、店内で流していたものと思われる。
コチラ的には、もうすこし華やかかりし頃の清里の様子がわかるもの、と思っていたので、少々肩透かしだ。