たかBONの徒然読書日記

倒錯の森で


連載第二回
「倒錯の森で」


雪の舞う12月

突然だが、私はロリコンである。
好きなゲームはシスタープリンセス、好きなアニメはデジキャラット、好きなアイドルはちゆ12歳で、聴いてる音楽はミニモニ。
今一番欲しいものはもち、妹さ!
ね。ロリコンでしょ。しかし、今時っ子達、誰も私を「この変態!」と罵倒し蔑まないだろうさ。いや、ちょっと引く人はいるかもしれないが・・・。
何故か。現在「ロリ」ごときでは社会的規範から外れた趣味=変態=倒錯者とは言いがたいからだ。
もちろん、児童ポルノ、児童買春までいってしまえば、罰則も厳しく、発覚後は日常生活においてかなり白い目で見られるだろうが、
「ロリ」っぽいアニメやゲームなんて巷に溢れかえっているではないか。

そもそも「ルーズソックス」が流行りだし、「女子高生」がもてはやされ始めた頃から、国民総ロリ化は始まっていた。
それ以前、バブル期の羽振り良さそうなきれい形「女子大生」や「OL」から、
ションベン臭そうな「女子高校生・中学生」へと世の殿方の嗜好が変化し、
日本経済の衰退と共に、もてはやされる対象も貧相になった。清楚な女学生は天然記念物となり、稚拙なしゃべり方と、間の抜けた表情、
ミニスカートからぶっとい足をさらけ出した、みるからにバカっつらな女子中・高生達はその子供っぽさを武器に、
一挙に時代のスターダムにのし上がった。
かつて、2次元コンプレックスを持ち、アニメのキャラやフィギアにうつつを抜かしていると、なにやら世間は冷たかった。
それが今や、婦女子自らアニメや漫画から抜け出してきたような、2次元くさい、言ってしまえば「創られた」女の子になろうとする。
例えば、70年代の伝説のギャグ漫画、鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」に出てくる「ルミたん」という非常にアレな女の子がいる。
「ぶりっこ」なかわゆい女の子で、「そうですわん!」と、しゃべりの語尾にわんを付けしゃべる。自ら自分を「ルミたん」と呼び、
体だけは成長したけど、頭の中はまだ5歳なのでちゅ♪みたいな頭の弱い女の子。なんつーか、初めてルミたんに出会った時はとろけたね。
か〜わいい〜どろどろーってさ。
しかし、現実に15歳にも16歳にもなって自分を「ルミたん」なんて呼ぶ奴がいたら、もう、死刑!死刑!
よっぽど完全なるかわいさがなければ、ゴスロリファッションも決まらないし、ちぃのコスプレイヤーだらけの現状の中で、許せるちぃは何人か?
所詮、2次元に3次元は敵うはずがない。が、まあ世の婦女子どものレベルも高くなったようで、限りなく2次元なのもいるがね。

そんなわけで、現代日本においてロリ文化はすっかり定着した。いや、ロリだけでない。
サドマゾもスカトロもホモレズも、冷やかし程度に定着した。
そんな、すでに倒錯してしまっている現在で、倒錯について考えるのはなかなかに難しい。
倒錯を、特に近年の日本の倒錯を考えるにあたって、一冊の本を開いてみる。
高橋鐵の「あぶ・らぶ」。
高橋鐵は、1907年生まれで日本における性研究の第一人者である。
大学では心理学を専攻し、フロイトに傾注。のちに多くの性に関する本を発表、その傍ら、性に悩める倒錯者達に対し、
カウンセリングを行なっていた。
「あぶ・らぶ」は、性犯罪者の精神分析や、高橋のとろこに寄せられた性に関する悩みをカウンセリングしたものなどを、
長い時間かけて集めた性研究の集大成だ。
では、昭和20年〜30年頃の性に悩める倒錯者達から寄せられた相談とは一体、どんなものか。

例えば、男根化粧の少年達。自分の顔にも入念に化粧をし、さらには男根にまで化粧をするゲイボーイたち。
切腹マニア。切腹しているデッサンを描いたり、空想したり、さらには自分が切腹したいと切望する人たち。
下着マニアに、頭髪マニアに、排泄マニアに露出狂。
こう書くと、さほど変態性が露出しているわけではないように思えるが、何と言うかディテールがすごい。濃ゆい。
相談を寄せているわけだから、もちろん自分で自分の性癖を病気のように捉えていて、
生い立ちから、今の奇行に及ぶまでを生生と告白している。
ある自慰中毒(と思い込んでいる)二十代後半の男性からの相談を抜粋してみると、

『(女性とは肉体関係が持てない云々とあって)そのかわりオナニーは、十有余年続けています。
勿論色々な時期と何回何十回となく止める様色々工夫や努力もしたけれど、遂に長続きがせずいつかまた犯して
今日に至っているのです。私は悩んでいます。今のままでは結婚しても困るだろうと思います。
何としても現在のようなヒドイ、オナニーをやめなければ(どうしても一週間禁止することが出来ないのです)。
そのオナニーに私はいつも年上の未亡人とか三十代のエネルギッシュな架空の人妻とかが、
最高のパッションで誘惑して呉れて、女上位かストリップの屈曲位でコイツスしてくれることを頭で演出しながら行ないます。
社会的にはマジメでなかなかお茶目で、それでいてセンチメンタリストで物静かな青年と評されているのに、
我が身の私生活がこの様なアクマ派であるのが悲しいのです。(以下、先生、助言して下さい云々と続く)』

どうです?なかなかにマジメで、お茶目な方というのがよくわかる投書ですね。
自慰中毒(自称)はアクマ派ですよ。
妄想も、パッションたっぷりの人妻ですよ。
この頃、エロ小説も、エロ漫画も、ましてやエロビデオ(時代的にビデオはありません)
なんてのも、そう簡単に手に入るわけではなかったろう。
だからか、とても空想力が豊かなのだ。実際の変態話かと思いきや、妄想の話で、そんな妄想を抱いてしまうことに、
不安や恐怖を感じている。そして世間体を気にし、社会生活や結婚生活に支障があるのではと悩む。
所詮は、倒錯気質とはいえ空想の世界に浸りきることができず、外側の世界ともしっかりと繋がろうとする。

では、現在はどうか。
もちろん、自分は変態かもしれないと悩む者はいるかもしれない。
しかし、そこまで自己の内面と向き合いながら倒錯趣味を持つだろうか。
まして、自分の趣味を犠牲にして、社会生活や結婚生活を維持しようなどと、深刻に考える人は少ないと思うのだ。

冒頭に書いたように、昨今のロリブームは異常である。
アニメやゲームのキャラクターも、幼児退行の一途を辿っている。
動物行動学者のコンラート・ローレンツは1943年に「赤ちゃん(動物含む)はなぜかわいいのか」その理由を論文にまとめているが、
「頭部のなかで、顔面よりも脳頭蓋のほうが相対的に大きいこと。目が丸くて大きく低い位置にあること。
体に比して頭のプロポーションが大きいこと。鼻と口とは、ほんのわずかに突き出るだけで目立たず、一方ほっぺたがふくらんでいること。
四肢が太短く、体全体がポチャポチャしていること。それに動作がぎこちないこと」
などを挙げている。このかわいさの法則は、今のアニメ・ゲームキャラ(特に女子のキャラ)にそのまま当てはめることができる。
さらに、子どもっぽい性格のキャラが多い。稚拙であやふやなしゃべり方や頼りなさ。自分の言う通りになりそうな従順さ。
その従順さの部分だけをもっと強調したキャラが「メイド」キャラなのではないか。
メイドがここまで流行したのも、ここ2〜3年ではないかと思う(少なくともギャルゲー関係に疎い人間達がメイドブームを認知したのは)。
従順なキャラを思い通りに動かしたいという欲求が、最近のギャル系アニメ・ゲーム市場の主流のような気がする。
それはまた、人間型パソコン然り。綾波に代表されるようなロボトミー少女然り。

こんな結果を出すとまた、現代人のコミュニケーションの不全さを露呈することになるだろう。
でも、人間関係を築くより、思いのままに動くバーチャルな女の子の方が楽だし、どんなことをしても、最後まで自分のものである。
多少のサディズムなんてのも、人間ならば誰しももっているはずだ。
それがバーチャルだからこそ、楽しめる倒錯趣味もある。まさに、バーチャルは現代の生み出した偉大なる昇華装置なのだ。
マシンガンで人間を殺しまくっても、無免許で車、電車、飛行機を運転しても、爆弾テロを起こしても、バーチャルならばOK!
だから、勝手に妹に慕われて、潤んだ大きな瞳で「お兄ちゃん、大好き!」なんて言われても、
「へっへっへ…」と不敵に笑って女子寮を盗撮しても、
メイドにご奉仕されまくって、いゃんばかぁんでも、バーチャルならばOK!というより、バーチャルでしか出来ません!やる気ありません!

アニメやゲームの中のキャラクターは無機質である。ゲームでも今はキャラクターがバリバリしゃべるが、一昔前までは「てろてろてろ」っと
テロップ音が出るだけで、PCエンジンCD−ROMROMのゲームで登場人物がしゃべっているのを見て驚いたのも記憶に新しいのは私だけ?
さらに、感触もない。肌は柔らかそうである。髪はサラサラとしていそうである。抱きすくめればもろそうである。
しかし、それは想像にすぎない。その想像力をバーチャルは最大限に具現化してくれている。

ここで思うのは、これはピグマリオニズムの究極なのではないかということだ。
ピグマリオニズムとは、よく人形愛の代名詞として使われる言葉だが、
しかし、実際は偶像姦と訳され、人形だけでなく、絵画や彫刻、写真などに狂恋することも含まれる。
その元々のいわれとは…古代ギリシャにまで遡る。
キプロスの才能豊かな彫刻家ピグマリオンが、美しい彫像を彫り上げた。
彼は、すっかりこの彫像の美しさに魅入られ、恋してしまった。
しかし、相手は物言わぬ彫像。恋は一編して苦しみへと変わる。
毎日、この恋が成就するよう祈っていると、愛の女神アフロディテが現れて、
彫像に命を与えた。2人は結婚し、娘が生まれたという。

この彫像は、生身の人間になったわけだが、
命を得た彼女は、ピグマリオンに「あなたが私の掟になってください」と言ったという。
なんと、受身な言葉だろうか。
生きても彫像は、思いのままに動く人形に限りなく近い。
これぞ、現在の倒錯の形のように思う。

最後に、最近の倒錯を研究したものとして、北原童夢の本が、ファッショナブルでしかも読み易かったので紹介したい。
内容としては、SMやボンテージが中心だが、ロリコンや人形愛についての考察も数ページあった。
この中で北原はロリコンブームに対して現代人の未成熟さとの関係を説いている。
 「大人への拒否、子どもでいたいという強い願望が、そのまま肉体は大人で精神は生まれたままという、
  この世には存在しない幻想の少女への思いを駆り立てる」(「欲望するハイヒールより」)
と説き、それがそのまま成熟した女性への恐怖へと結びつくという。
 「つまり成熟した女体に、自らの性的弱さを嘲笑われるより、彼らは自らの専有権を主張できる少女を対象に選ぶ。
  少女のかわいらしいヴァギナを男根が押し開く描写は、男性の巨根願望を満たすのに充分な構図であり、
  多くの男が有する自らの性器へのコンプレックスを癒してくれるのである。」(「フェティシズムの修辞学より」) 
と、私の中でモヤモヤしていた結論を、スパっと言い当てていたので、抜粋します…。
こうした隠れマッチョ達が、良いとか悪いとかゆう問題は、他人がとやかく言うものではない。
ただ言える事は、現代のアニメ、ゲーム業界は、こうした人間達を満足させているし、製作する側も利益になるしで、
不況時代もなんのその。良いことです。

考えてみれば、日本では「強い女ヒーロー」は欧米に比べそれほど人気はない。
タンクトップでマシンガンとか、カウガールとか、アマゾネスとか、なんか欧米人はすごく好きだ。
ポルノにしたって、欧米女性は肉食獣ってな感じで、今にも捕って喰われそうな勢いがなんとも素敵。
あるポルノでは男性が女性の脇の下で珍棒を擦りながら、
「Oh!まるで故郷に帰ったような気分だ!」と快感をもらしていたが、日本人には、まったく意味がわかりません。
文化の違いで、倒錯の違いもはっきり分かれるわけですな。
さて、ロリコン、無毛、ツルツル好きの現代人は、さらに進化すると「ラバーフェチ」になるのではないかと北原さんは書いていた。
うん。なんかわかる。
「ラバー」もいいが。ラバーもいいが、「全身タイツ」はどうだろう。「ゼンタイ」などと呼ばれ、フェチの間ではなかなか人気があるようだ。
全国の萌え〜萌え〜してる人達、あなた達は立派な倒錯者であることを自覚し、日々、倒錯に精進するように!
それが、オタク文化輸出国である日本人としての努めなのだ!倒錯万歳!
では次回もまた、倒錯の世界を探検しよう。

蛇足・日本ロリコン美少女史

AYAKO

PINOKO

KUKURI
日本で最初にロリコン美少女を描いたのは、手塚治虫であるといわれている(ウランちゃんだそうです)。手塚作品の中でも、戦後の片田舎のどろどろとした人間関係を描いた「奇子」の主人公奇子は、幼い頃、土蔵の中に閉じ込められ、精神が未成熟のまま、妖艶な美女へと成長する。奇子こそ、ロリコン美少女の系譜であるとする声もある。
しかし、何と言っても筆者が大好きなのは、ピノコだ。実は18歳だし、独特の「わのよ」しゃべりで、世話好きで。ちょっと風変わりなロリコン美少女の元祖はピノコだろう。作品中でのピノコの存在は、作品そのものをコミカルにし、主人公のブラックジャックを惹きたてている。
小さいのに世話好きキャラに「メルモちゃん」もいるか。こちらもキワドイキャラだ。

さてさて、お次は「魔方陣グルグル」のヒロイン、ククリである。グルグルも、連載10周年を迎えたそうだ。そんなになるんだなー。その間アニメ化、映画化、ゲーム化もされた大人気のギャグファンタジーもの。連載当初、全体にもっと長かったククリは、どんどん縮んでます(笑)。顔はどんどん丸くなっていくし。大体、こうゆうキャラは、どんどん縮むというセオリーがあるようだ。コマヌケキャラとしては、なかなかの大御所。

MEMORU

TIBINEKO
こちらは、とにかく小さいロリコン美少女メモルちゃん。84年から放映されたテレビアニメ「とんがり帽子のメモル」の主人公である。子どもの頃、「将来の夢は小人になること!」と語っていた筆者も夢中になって観たファンタジーアニメだ。とにかく小さい。手の平サイズだ。一見小人のようだが、宇宙人なのである。ぽっちゃりとした体系とパンツファッションがかわいい。 猫耳少女の元祖と言われているのが、「綿の国星」の主人公「須和野チビ猫」。少女漫画界の巨匠、大島弓子が78年より「ララ」で連載を開始した、大島作品にしては珍しい長編漫画である。映画化もされ一世を風靡した(筆者も小学生の頃観に行きました)。猫(いや猫以外の動物も)を擬人化して描く独特の手法や世界観を表現できるのは、今もって大島弓子以外にはいない!と個人的に思う。「チビ猫」は、その名の通り子猫。猫耳、ヒラヒラエプロン、ふんわりワンピースのいでたちは、現在のアニメ界にかなり影響大か!? えー、「ゼンタイ」の話をしましたので、参考まで。筆者も「ゼンタイ」の世界に関しては詳しくはないが、こうゆう、ピッタリしたタイツを履いて、何気ない日常をおくっているシチュエーションが良いらしい。勿論、何気ないだけでなく、タイツ姿でシャワーを浴びたり(?)
Hな行為をしたりはもっと良いらしい。ちょっとしたコデブちゃんぐらいの女の子のムチムチした肉体も人気だとか。
「ゼンタイ」の系譜には「戦隊もの」の女の子キャラのぴっちりしたコスチュームフェチもいるとか。